忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

広島大学における教育の民営化の現実①~今日のキャンパスと悲しい一言~

BGM
千の夜をこえて Aqua Timez 

どうもお疲れさまです。ケンヤです。

 さて、一回目です。今日のキャンパスの出来事をみなさんにぜひ考えてほしいと思います。

 広大生のみなさんにおかれましては「クラス討論」というものを体験した方も多いと思います。授業の前にみんなに僕らの考えを訴えて、議論をしようというアレです。それ自体としては、様々な意見を持っている広大生にとってみれば、僕の主張に対する捉え方も賛否両論でしょう。それはそれで良いです。一応今日僕が訴えたことは以下のようなことです。

 法政大学において、文化連盟というサークル団体の委員長の齋藤くんと、サークル員の倉岡さんという学生にそれぞれ、退学処分・停学1年という処分が下されています。僕自身もサークル団体の代表をしていますし、文化連盟の方から全国署名運動が呼びかけられて、やっぱりこれは自分自身の問題だというふうに捉えて、ぜひみなさんにも署名をお願いしたいのです。
 僕もこの間『大学とは、教育とはどうあるべきか』ということをみなさんに訴えてきました。そこで感じたのは、今学生同士がバラバラにされているという現実です。言いたいことも言えない。学生同士が議論する場もなけりゃ、そういうことしちゃいけないみたいな空気すら流れている。それが、今法政大学において『ビラすら撒けない』という形で、学生同士の交流をさせない、大学の規制という形で表れています。サークル活動も規制、学祭も規制、大学が学生をバラバラにさせている。そういう中で「大学はおかしい」と声を上げた法大生が退学・停学に処分されているのです。本当に教育のありかたについて僕らは真剣に考えなければならない。法政大学では学生の学費をマネーゲームに使って8億円もの損失を出している。8億円あれば、経済的に困難な学生に対して十分な支援をできるのに、そうではなくて学生の金をギャンブルに投じて、理事会の役員はリムジンに乗っている。「それはおかしい」と声をあげれば「営業権の侵害」ということで処分される。学生の金が、こうやって大学の不正に声をあげる学生に対して、ガードマンの増強、150個の監視カメラの設置、大学の敷地周辺の鉄条網の設置ということに使われる。来たくても来れない学生がいるのに、そのために大学が機能しない。
 だから、僕はこの処分撤回署名は、単に法政大学の学生を助けたいからということではなくて、この社会と大学を問う署名としてみなさんに提起したいのです。
 広島大学においても、どんどん「何とかセンター」とか様々なセンターが学部の下に設置されていますが、例えば「高等教育センター」というところでは文科省の役員がセンター長に就任しています。学長の縁のある様々な人物が各センターのセンター長に就任していますが、センターを学部の下に作りまくって、学部の予算を削り、必要なのかどうかもわからない事業と役員に予算を割き、昨年は教職員のボーナスが10%カットされました。研究費も削減されています。非常勤講師が増加し、優秀な教員が「自分はそこらへんのコンビニのバイトの給料と変わらないから、それ以上の仕事はしません」と言わせる教育って何なのでしょうか。一方では経済的に困難な学生は授業料や生活費をバイトで稼いで、授業に行く暇がなくなるという自体も起こっています。なんで教育現場でこんなことが起きているのでしょうか。教育って無償であるはずべきものなのに。
 民主党政権が誕生して事業仕分けを行い、教育予算が削減されました。それによって、京都大学の理学部が潰れかかっています。あるいは、親の仕送り金に税金をかけようという話すらでている。何で教育で金を取ろうとしているのですか。
 学生が授業に縛られ、単位に縛られ、就活に縛られ、だけどそれは『仲間とともに葛藤を解決する』のではなく、全部自分の中で抱え込んでしまっている。広島大学は「自殺の名所」として全国でも有名です。今でも毎年、学生が自分から命を断っている。みんなが持っている葛藤を自分自身に向ければ自殺として表れ、外に向けば『マツダの事件』として表れる。本当に教育がこれでいいはずがないと、僕自身真剣に思ってしまうのです。
 だから僕は教育のあり方を問いたい。問いたいからこそ、今起きている法政大学の処分という問題をみんなで考えて、同じ仲間を守るというところから始めていきたい。仲間のために声をあげるということがあれば、マツダの事件だって起きなかったはずです。学生の持っている可能性を引き出し、本当にキャンパスの中で学生の創造力が十二分に発揮され、ともに高めあっていく教育をつくっていくために、この処分撤回署名から始めようということで、ぜひみなさんよろしくお願いします。

 まあこんな感じです。署名してくれる学生もチラホラ出てきました。本当にありがたいことです。学生はみんな真剣なのです。

 だが、今日入ったクラスのある教授は僕が「昨年教員のボーナスが10%カットされましたよね」と聞くと、「うるせえ、お前にそんなことは言われたくねえ。おおきなお世話だ」と返してきました。僕としても、「確かに、人の給料の上げ下げをみんなの前で公表するのも失礼かな」というのも一瞬頭をよぎりましたが、ただ僕としては「ボーナス10%カットには反対」という立場で話をしていたし、その教授の能力不足で下がったわけではなく、全職員が下がったわけですから、やっぱり「いや、僕はおかしいと思うんです」と言うわけです。だが何も取り繕わない。「出ていけ」の一点張り。「授業前の時間は授業準備の時間」と学則にもないルールを持ち出して(昨年も同じようなことがあったのだが、授業前の時間・休み時間には教員の強制力は働かないと大学に認めさせた)、学生同士をバラバラにさせようとする。僕は「ああ、こういう形で学生同士の団結ってのが解体されていくんだな」と感じました。法大と同じじゃないか、と。僕はもう、広大の教員にこんなのがいたのかと悲しくなりましたよ。情けない。一体学生をどう見て、どういう教鞭をとっているのだろうか。教育者なら、もっと言い方があるだろう。真剣に考えている学生が目の前にいるのに、「うるせえ」の一言かい。

 今回はもう少し大学内部の諸問題について考察しようと思っていたのですが、なにぶん「現在進行形」として教育の民営化の問題は進んでいるので、急遽変更しました。だけど、こういう問題はやっぱり重要だし、学生の目の前で起きていることを考えずに、他のことにいくってのも無いだろうということで、読者のみなさんにぜひ考えてほしいと思ったわけです。

 端的に言います。

クラス討論の妨害をしてはいけない

 これは学生が本当に大学の主人公として、みんなに知ってほしいこと、大切だと思うことは、何の制約も束縛もなく、100%どころか、さらに仲間の力や可能性を引き出していく方向で訴えられるような状況を作り出していくことを考えれば、最低限のことです。「うるせえ」など言語道断であります。教育者が「自分が学生に教鞭してるんだ」などというのは驕りにすぎない。学生は教員から一方的に教えを乞うような存在ではなく、まさに大学の、学問の主体なのだから。
 

「うるせえ」はないよな・・・
byケンヤ
PR