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京大公安事件に寄せて

執行部1年生から、京大公安事件に寄せて、文章が出されましたので掲載します。




11月4日京都大学にて学生たちが公安の方の身柄を拘束するという事件がありました。学生が集会を行っていた時、不審な人物がカメラを取り出そうとしていたので、ある学生が身分を訪ねました。するとその不審者が逃げ出したので、学生が追いかけ、身柄を拘束するに至ったそうです。さすが京大生、普通の大学生のしそうのないことを平然とやってのける。そこに感嘆せずにはいられません。閑話休題、拘束された人物が所有していた免許証から、学生はこの人物を京都府警の公安関係者と断定、副学長をも巻き込んでのごたごたへと発展しました。副学長が拘束された警察官から事情を聞いているさなか、機動隊を乗せたバスが5台京都大近くに到着。釈放しないと突入する旨が伝えられました。拘束された警察官への追及を終え、府警へ身柄引き渡したそうです。さすが京大、面白いことが起こるものです。さて、今回の事件で問題と会ったのは、何の通達もなしに警察官が京都大学に侵入し、学生の政治集会を監視しいていたことです。京都大学と府警との間には協定が結ばれているらしく、警察官が構内に入るときはあらかじめ大学側に通達することになっているようです。今回の事件では、警察がまったくの協定違反をしたのです。
ところで、拘束された警察官は「公安」の者らしいのですが、そもそも「公安」とはいかなる組織なのでしょうか。その起源は戦前にまで遡ります。当時、特別高等警察、略して特高なる組織がありまして、政治犯の取り締まりを専門に行っていました。この組織が公安の元です。戦後、特高関係者は公職追放の憂き目にあっていますが、占領政策を行っていたGHQの反共路線への転換の流れの中で警備二部(後の公安部)が新設され、特高出身者の受け皿となりました。そして全国の警備本部にも公安部に相当する課がつくられ、今に至ります。
さて次に、京都大学と府警との間に交わされた協定に関わる話をしましょう。協定の意義、それは学問の自由の保障です。小難しい言葉が出てきました。まず「学問の自由』について説明しなければなりません。学問の自由とは、端的にいえば「公権力から研究、教育の中身を干渉されない権利』です。圧力がかかっていれば学問(研究、教育)の中身は制限されてしまいます。学問内容の制限は、真理の探究という学問の目的に反します。そして、大学とは学問する場であって、そうあることこそが大学の存在意義です。従って、学問内容の制限は大学の存在意義にも反します。大学を大学たらしめる上で、学問の自由とは重要な権利なのです。圧力ありきの学問に何の意義があるのでしょう。真理探究はどうなのか。圧力のかける者にとって都合のいい学問しかできなくなるのは問題あることなのです。
学問の自由は憲法23条で保障されています。これの由来についても話をしましょう。憲法23条は、他の条文がそうであるように、それもまた、戦前、戦中の反省に基づいて規定されました。戦前、大学では学問の自由が保障されておらず、社会主義の研究は不可能でしたし、理工系の者たちは軍事研究をしていました。大学は戦争に協力する側となったのです。戦争協力と学問の自由の侵害、これらは関係しあっており、学問の自由の重要性が戦後の反省によって気づかれ、憲法で保障されるようになったのです。以上のように、学問の自由は大切なものなのです。京都大学の話に戻りますが、京大におけるそれは協定という形であらわされていました。ところが今回の事件で協定は無視されたのです。これは即ち学問の自由の侵害を意味します。何と嘆かわしいことではないか。

京都大学で起こった事件を説明して見ましたが、いかがだったでしょうか。よく分からなかった点もあったと思います。それは単に私の力不足によります。ごめんなさい。さて京都大学の事件、我々はこれをいかにとらえるべきなのでしょう。それを考えるには、同じような事が広大でも起こったら、というのを想像して見るのが手っ取り早いです。その時、どう行動しますか。その行動をする理由が、今回の事件を捉える上でのヒントになると思います。これを読んでいるあなたへ。あなたは今回のことをどう思いますか。
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